何が時代を動かすのか-ポスト消費社会の価値観を求めて 栗田哲也著 ディスカヴァー携書
教育研究家駿台英才セミナー講師 栗田哲也
人間は社会の関数として、その時代の価値観からあまり自由ではない。
誰もが時代の価値観とふれあい、他人とつきあっていくなかで、だんだんとその時代の価値観に縛られていく。
個人の持つ価値観を、完全に個人的な主観的な物とせず、その時代、場所の社会がもつ関数として捉える。(説明変数にも投入変数にもなると思う)
その考え方の上で、各時代の個人の価値観を語っている。良書と思う。
戦後から1960年代の高度経済成長期
1970年代
1980年代のバブル期
1990年代
2000年代
それらを
運命共同体期
消費・契約社会期(消費社会期)
消費社会期(ポスト消費社会期)
グローバル経済下の社会
と分類し、それぞれの時代に特徴的な価値観を比較している。
各時代を突き動かす原動力となる価値観の変遷
その特性を、各時代毎の文化・経済・政治的な視点から紹介している。
そこには、著者の哲学的な側面が多分に現れており、その考え方に共感が出来なければ
すこぶる理解のできない著作のように思われる。
誤解を恐れずに要約すると論旨は以下である。
運命共同体期における価値観とは
「偉い人の存在が自明であり、人はその偉い人(目標)になるべく、勉学に励み、立身出世を目指すことが美徳とされる」というものであり、殆どの人がその価値観を疑わなかった。
そのため、共同体として価値観の序列の中で、自分の位置を占めることが出来た。
消費・契約社会期(消費社会期)における価値観とは
「偉い人という存在がウソとなり、人は目指すべき目標を見失う。そこに電通、博報堂、ぴあなどによる感性が良いのがかっこよく、かっこよい/かわいいことがすばらしいことだ。それこそが価値だ。」という風潮の情勢により(マーケッターによる消費者としての若者の取り扱い)努力することのばからしさと消費し楽しむことだけしか見えない文化が形成される。シラケの文化である。
消費社会期
消費社会では、価値観は多様化し(大衆から分衆へ)そのすべての価値観を肯定する風潮があるため、人々は、自分の価値観(感性)に基づいて夢の実現を目指す。その一方で、熱くなるマジになることに対するシラケや消費の楽しさに比した修行の禁欲への忌避の念などが蔓延する。唯一のモノグラフは金銭だけという価値観。ただし、生まれや育ちは別にしてお金を稼げば、ちゃんと人並みに生活でき消費を謳歌できるという、金銭の前での平等は存在していた世界。
そして、そのお金に関しては、終身雇用と年功序列の企業という最後の家族の中で、細々とはぐくまれた時代。
グローバル経済下の社会(ポスト消費社会)
年功序列ではなく、能力のある人が稼ぐ社会。しかし、能力のある一握り以外の人にとっては、うまくゆかない・評価されないことの理由を全て、自身の能力に帰結される上、一旦成功した人も次の日には敗者になるかもしれないという不安に苛まれている社会。
人々は、現実的な生き方として、身近な理想のみを追求する。起業家や医者などは難しく、また、親が金持ちではないので医者は無理でも会計士になるだとか、資格を取るとかである。